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倉庫でのアルバイト(5)

2008/02/19 16:09
 さて、そんな全くの素人の私が13時から14時まで、倉庫の管理者代理(店番)である。なんとも頼りない倉庫責任者代理である。
 私は、電話がかかってきたらどうしようとか、誰か人が来たらどうしよう、などと思いながらも、もちろん30年物の扉を閉めて椅子に座っていた。
 何も分からない私には座っているくらいしかないのだ。少しの間机の上のある短冊などを見ながらダラダラしていると、やっぱりだ、電話がかかってきた。私は受話器を取ってとりあえず定番であろう「お世話になっております草思社です。」と第一声を発した。まあここまでは誰でもできる、そしてその電話主は「××書店です、お世話なります。」と第一声、私はそういわれても全く分からないことが分かっていたので、「あいすいません、ただいま責任者が食事に出てしまっておりまして、14時以降にかけなおしていただけますでしょうか?」と仕方なく答えた。その書店は「そうですか、わかりました。またかけなおします。」とごく当たり前のように話してきたので、私は当然のごとく「申し訳ありません、よろしくお願いします。」と答え受話器を置いた。
 そのときに思ったのが、書店から倉庫に直接電話がかかってくるのか、という疑問だった。私のイメージでは、注文はあくまで本社の営業がとり、それを倉庫に出庫命令を出すというのが本来の形ではないのか、と。しかしここではそうなのだから、仕方がない。××書店から電話があって、また電話がある、と机の上の端切れのメモ用紙を使い書いておいた。
 そしてダラダラしていると、例の30年物の引き戸を開けて山本さんが帰ってきた。私は「お帰りなさい」と言い、矢継ぎ早に「××書店から電話があって、14時以降に責任者が帰ってくると言ったら、そうですか、またかけなおします、と言ってました。そこにメモを置いておきました。」と、管理者代理としての役割を全うしたことをアピールしながら、話しをした。山本さんは、表情一つ変えずに「ありがとう、わかった。」と言って電話をかける風でもなく、いつもと同じ山本さんだった。
 今日は、14時を過ぎると、そろそろ太口製本がやってくる。そのときのベストセラー「大国の興亡」を載せてやってくるのだ。その為に午前中にその場所をVIP接待用として空けておいたのだ。
 外にトラックの停まる音がすると、少ししてガラガラっと、引き戸を開ける音がした。そして引き戸が最後まで開けられるかいなか、という時に頭髪を七三に分けた、いかにも営業マンという感じの背広姿の人間が上半身を突っ込んできて、「お世話になります、太口製本です。山本さん居ますか」と話し始めた。その男はいかにも古典的営業マンスタイルで愛想がいいような第一印象を受けた。
 山本さんは、「あーどうもどうも」と言いながら、引き戸を全部開けながらその営業マンから受け取った伝票の納入の数字などを確認していた。
 営業マンは「いやあ、草思社さんは凄いですね。”大国の興亡”、一所懸命やっても間に合いませんよ、畑中さんからも、煽られて大変でしてね、でもどうにか今日も間に合いました。はははっ」と笑いながら山本さんに話しかけてきた。山本さんは、「あはは、いやー、まあその分、太口製本さんも儲けているでしょう」とはにかみながら、首を横に曲げるいつもの姿勢で話しをしていた。太口製本の営業マンの言っていた、”畑中”という人物は、草思社の業務部にいる女傑で(失礼)、紙の手配、製本の手配など、本を実際に刷る段階の手配をする部署の人間だったのだ。
 私もそんな話しを横で聞いているうちに、トラックの運転手の人間が降りてきた。すると山本さんは「じゃあ倉庫に入れるか、南海君」と私に向かって言いいながら「南海君は倉庫の中に入って受け取って積んでいって」とトラックとの間に立ち、トラックの運転手が荷台に入って山本さんに本を渡し始めた。
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倉庫でのアルバイト(4)

2008/01/18 22:25
 山本さんは、水(!)を飲みながら私に聞いてくる「南海君は、大学生なの?」。
 私が答える「はあ、大学とは言っても工学部の機械系学科で、出版とかそういうのとは全く縁が無いんですよ」。すかさず山本さんは体を横に曲げてふにゃっと笑いながら「まあ、この仕事は学部とか関係なくて体力だから」と言う。
 そうしているうちに、昼休みの時間になったところで、山本さんに「A君と南海君は昼ごはん食べてきて」と言われ、二人で食べに行くことになった。しかし、食べに行くといってもどこへいったらいいものか、私が「A君はこれまでどこに食べに行っていたの?」と聞くと、「あっちのほうに適当に」を言われたのでとりあえず神保町の交差点の方へ行こうということになった。そこで、まだ若かった私達はボリュームのありそうな物が出てきそうな”キッチン南海”に入ったのである。(余談であるが”キッチン南海”は神保町だけかとおもっていたが結構全国に支店があるのを最近知ったのである。)
 そこは、カウンターしかない揚げ物中心の食堂で、私とA君はカウンターに並んで座って、注文をした。私は”しょうが焼きとエビフライ定食”だったと思う。
 そこで、唐突にA君が「南海さんすみません、途中で代わってもらって」と言い出した。私は「そんなこといいよ。だって他に予定があって来られないんでしょ、じゃあそれでいいじゃん僕もいる事だし。」と言いながら、注文した”しょうが焼きとエビフライ定食”をパクついた。しかし一口でエビフライを食べようとしたのがいけなかった、そのエビフライはカウンターの向こうで揚げたてのなのである、熱くないはずがない。私は舌が痛くなるほどの熱さを覚えながらも、A君に冷静を装い話しをした。
 食事を終え、私達が倉庫へ帰るとA君は午前中までということであった。そのためA君は帰り支度をして最後の勤務を終えたのである。
 残ったのは、責任者の山本さんと私だけ。
 二人だけの倉庫になった。
 しかし午後1時になると、なんと山本さんは私を残して「今度は僕が昼休みをとってくるから、よろしく。電話がかかって来ても、責任者はいないので後ほど電話をくださいって言っていいから」といい始めた。私は、「はあ」と自信なく答えたが、不安はよぎっていた。昼休みは業者の人達も昼休みだろうと思って電話したり、直接来たりしないだろうが、1時をすぎれば昼休みは終わり、と世間の相場は決まっている。それにどうやって対応したらいいのだろう、そんな不安だった。
 山本さんは、私が初日だというのに、それがいつもの事の様に出かけていってしまったのである。
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倉庫でのアルバイト(3)

2008/01/15 20:20
 午前中は、忙しい。なぜならば大手取次ぎのトラックが集荷に来るからだ。
 午前中に来るのは、たしか東販、日販という大手2社だからだ。その分集荷してもらう量も多い。倉庫の前には30年前を思い出す例の引き戸の前に、へばりついたように青い箱が沢山おいてある。
 この箱は集荷の時に使うもので、塩化ビニールで出来た80×40cmで高さ40cmくらい、蓋のある青い箱で下の部分が上より小さく、蓋の部分に上乗出来るようになっているのである。
 集荷のトラックが来ると私と、A君、責任者の山本さんはそれをバケツリレーさながら幌のついた青い”いすゞエルフ”に取り次ぎの運転手と一緒に、トラックに運び込むのだ。それをひとしきり終えると、取次ぎの運転手は責任者の山本さんに、輪ゴムで纏めた短冊(書店からの発注伝票)を翌日の集荷分として手渡して行くのである。
 取次ぎの運転手はそれを手渡すと、トラックに戻って一方通行の道をそのまま走って行く。神田神保町の辺りの横に入った道はほとんどが一方通行であったから、トラックは必ず同じ方向から来て同じ方向に出発していく。
 受け取った短冊は、明日の飯の種である。
 東販、日販の発送が終わると、我々は倉庫の中に入って左側の机に向かって3人並んで通路に丸椅子を出してきて座って一息つく。
 すると、山本さんが奥に行き「A君、南海君、コーヒー?、お茶?どっちがいい。」と聞いてきた。
 私は、みんなが別々の物になると面倒臭いと思い、「山本さんと同じにしてください。」と答えた。すると、照れくさそうに笑いながら「僕は、お茶とか、コーヒー飲むとカフェインで夜眠れなくなっちゃうんだよね、そんなことない?」と右手を顔の前で振りながら言った。この人はなんとも憎めない人だ。
 私は、だってまだ午前中じゃない、これで夜が眠れないって・・・。と思いながらも、「それはないですねえ。眠れますよ、夜。」私は「ははっ」と笑って、「それなら、お茶をもらえますか、コーヒーより緑茶の方が好きなんで。」と答えた。
 「うん、分かった、A君は?」、A君は「南海さんと同じで。」と遠慮がちに答えた。
 7月の夏休みのアルバイトであるから暑いのである。午前中でもそれなりの暑さではあったが、入り口の引き戸を閉めて、ひとつだけ設置してあるエアコンが涼を吐き出す。肉体労働と言えば大袈裟であるが、少しでもエアコンが効いているのはありがたい。
 そこで、熱いお茶を飲んで少しの休憩を取りながら、世間話をした。
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倉庫でのアルバイト(1)

2008/01/12 17:18
 
 1998 1988年、当時大学生だった私は、ある人から
 「夏休みの間、倉庫のアルバイトをしてみないか?」
 「今、本が売れて人が足りないらしいんだ」と、言われてふたつ返事でアルバイトをすることになった。

 当時の草思社の倉庫は神保町にあり、神保町の交差点から歩いて7〜8分の所にあった。
 渡されていた地図を見ながら、歩道は無いのであるが広い通りを歩いていき、路地を入った所にその「倉庫」はあった。
 それは、どう見ても「倉庫」という建物ではなく、その当時でも30年以上経った木造の建物、通りに面して隣にはゴルフ用品屋があり、倉庫とゴルフ用品屋が2件が一緒に入っている木造の建物だった。
 草思社の倉庫の入り口は木でできた引き戸で、上側が波〃となったガラス板で出来ていて、それこそ昭和30年代の駄菓子屋の風体という感じであった。
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とりあえず

2008/01/12 16:24
スペースを確保したので、これからアップしていきます。
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